生没年
- 1513~1585
1513年4月22日(永正10年3月17日)出生
1585年11月2日(天正13年9月11日)死没
享年 73
名前
- 八幡丸 (はちまんまる、幼名)
- 戸次 鑑連(べっき あきつら)
- 戸次 道雪(べっき どうせつ)1562~
- 立花 道雪(たちばな どうせつ)
立花道雪 人物解説
- 豊後守護職である大友氏の重臣
- 二階崩れの変では、大友義鎮(よししげ、後の宗麟)の家督相続に尽力した
- 大友氏の主たる将として、筑前を中心に北九州で活躍した
- 高橋紹運の長男である立花宗茂を婿養子に迎える
- 毛利氏、龍造寺氏、島津氏と戦う
父母血縁
父母 | 祖父母 | 曾祖父母 | |
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立花道雪 | 戸次親家 | 戸次親宣 | _ |
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由布惟常娘 | 由布惟常 | _ | |
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年表 ( 立花道雪 略歴 )
年 | 月 | 所在 | 出来事 |
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1513 | 4 | 豊後 | 戸次親家(べっき ちかいえ)の次男として生まれる |
1526 | 豊後 | 元服し、戸次氏の家督を継ぐ | |
1550 | 2 | 豊後 | 二階崩れの変 (にかいくずれのへん) 大友家の内紛が起こり、主君の大友義鑑(おおとも よしあき)が死去する 大友義鎮(宗麟)を支持し、義鎮の大友氏家督相続に尽力する |
1558~1562 | 豊前 | 門司城の戦い (もじじょうのたたかい) 毛利元就の軍と門司城をめぐり、数度にわたって戦う |
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1562 | 4 | 豊後 | 剃髪し、麟伯軒(りんぱくけん)道雪と号す |
1567 | 9 | 筑前 | 休松の戦い (やすみまつのたたかい) 休松城の周辺にて秋月種実の軍と戦う 夜襲をうけ、多くの一門や武将が討死する |
1569 | 筑前 | 多々良浜の戦い (たたらはまのたたかい) 立花山城をめぐり毛利元就の軍と戦う |
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1570 | 9 | 筑前 | 今山の戦い (いまやまのたたかい) 龍造寺領である肥前に侵攻するが、鍋島直茂の奇襲を受け敗北 |
1571 | 筑前 | 立花家の名跡を継承し、立花山城主となる | |
1581 | 筑前 | 高橋紹運の嫡男である高橋統虎(たかはしむねとら、後の立花宗茂)を婿養子に迎え、家督を譲る | |
1585 | 11 | 筑前 | 病死 享年73 |
主君
- 大友 義鑑(おおとも よしあき)
豊後大友氏の第20代当主 二階崩れの変により重傷を負い死去した - 大友 義鎮(おおとも よししげ)1550~
豊後大友氏の第21代当主 九州六カ国(豊後、豊前、筑前、筑後、日向、肥前)に勢力を伸ばすが、島津氏の侵攻を受け衰退する
著名子孫
- 子
- 立花 誾千代(たちばな ぎんちよ、一人娘)
- 立花 宗茂 (たちばな むねしげ、婿養子)