朝倉宗滴

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生没年

  • 1477~1555

名前

  • 小太郎(こたろう、幼名)
  • 朝倉 教景(あさくら のりかげ)
  • 朝倉 宗滴(あさくら そうてき)1503~

朝倉宗滴 人物解説

  • 応仁の乱以降に越前国の守護となった朝倉氏出身
  • 長兄で当主である朝倉氏景の家系を三代(貞景、孝景、義景)にわたり補佐し、朝倉氏の繁栄に貢献した
  • 越前に侵攻してきた一向宗(30万ともいわれる)を九頭竜川の戦いで撃退した(1506年)

父母血縁

父母祖父母曾祖父母
朝倉宗滴朝倉孝景
(7代)
朝倉家景
(6代)
朝倉教景
(5代目当主)
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桂室永昌大姉__
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年表( 朝倉宗滴 略歴 )

所在出来事
1477越前越前国守護職である朝倉氏7代目当主 朝倉孝景(たかかげ)の八男として出生する
1481越前父の朝倉孝景が死去
長兄の朝倉氏景(うじかげ)が家督を継ぐ
1486越前当主の朝倉氏景が死去し、氏景の嫡男である朝倉貞景(さだかげ)が家督を継ぐ
1503越前内紛の際、出家し宗滴(そうてき)と称す
15068越前九頭竜川の戦い(くずりゅうがわのたたかい)
加賀より越前に30万の一向宗が侵攻する
宗滴は夜襲を掛け、一向宗を撃退した
15124越前当主の朝倉貞景が鷹狩の途中に急死し、貞景の嫡男である朝倉孝景(たかかげ)が家督を継ぐ
1527
~
1528
川勝寺口の戦い(せんしょうじぐちのたたかい)
室町幕府12代将軍の足利義晴と管領の細川高国より援軍の要請を受け上洛する
堺公方(足利義維、よしつな)軍と川勝寺(西京極)周辺で戦い勝利する
15484越前当主の朝倉孝景が寺院への参詣の帰途に急死し、孝景の嫡男である朝倉延景(後の義景)が家督を継ぐ
15559越前加賀一向一揆討伐の出陣中に病に倒れる
一乗谷へ帰還後に死去 享年79

※年月は西暦 

著名子孫

    • 朝倉 景紀(あさくら かげとし)
      朝倉貞景の四男、宗滴の養子となった

主君

  • 主君
    • 朝倉 孝景(あさくら たかかげ)
      父、朝倉氏第7代当主
    • 朝倉 氏景(あさくら うじかげ)
      長兄、朝倉氏第8代当主
    • 朝倉 貞景(あさくら さだかげ)1486~
      甥、朝倉氏第9代当主
    • 朝倉 孝景(あさくら たかかげ)1512~
      朝倉氏第10代当主 曾祖父の7代目にあやかり同名を名乗る
    • 朝倉 義景(あさくら よしかげ)1548~
      朝倉氏第11代当主 1573年、織田信長に攻められ自害し朝倉氏は滅亡する
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