宇喜多直家

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生没年

  • 1529~1581

名前

  • 宇喜多 八郎(うきた はちろう、幼名)
  • 宇喜多 直家(うきた なおいえ)1533?~

宇喜多直家 人物解説

  • 備前国守護代 浦上氏の家臣である宇喜多氏出身
  • 主君であった浦上宗景(うらがみ むねかげ)に謀反を起こし、備前を制圧する
  • 岡山を本拠地とし城や城下町を整備した
  • 羽柴秀吉の中国侵攻にともない織田信長に臣従する
  • 織田家に臣従後は毛利氏と合戦を繰り返す

父母血縁

父母祖父母曾祖父母
宇喜多直家宇喜多興家
(おきいえ)
宇喜多能家
( よしいえ)
宇喜多久家
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阿部善定娘阿部善定_
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年表( 宇喜多直家 略歴 )

所在出来事
1529備前浦上氏家臣 宇喜多興家(おきいえ)の嫡男として出生
1531?備前祖父の宇喜多能家(よしいえ)が島村盛実の奇襲を受け自害する
1543備前浦上宗景(うらがみ むねかげ)に仕える
1559備前祖父の仇である島村盛実を謀殺する
1565美作侵攻してきた備中の三村家親を撃退する
15662美作美作(みまさか)国の興善寺にて三村家親を暗殺する
1569備前主君の浦上宗景に謀反を起こすが孤立し降伏する
1573備前石山城(岡山城)に本拠を移す
1574備前再び、主君の浦上宗景に謀反を起こす
15759備前天神山城の戦い(てんじんやまじょうのたたかい)
天神山城を攻略し、浦上宗景を播磨へ敗走させる
1577織田信長の命により羽柴秀吉の中国攻めが始まる
157910備前織田信長に臣従する
15813備前岡山城にて病死 享年53

著名子孫 一門衆

    • 宇喜多 秀家(うきた ひでいえ)
      次男、直家の死後に家督を継ぐ。豊臣秀吉から五大老の一人に任じられた。関ケ原の戦いで西軍に属したが、敗退し流罪となる。
  • 一門
    • 宇喜多 忠家(うきた ただいえ)
      直家の弟。直家、秀家の補佐を務めた。

主君 著名家臣

  • 主君
    • 浦上 宗景 ~1575
    • 織田 信長 1579~
  • 家臣
    • 長船 貞親(おさふね さだちか)
    • 戸川 秀安(とがわ ひでやす)
    • 岡 家利 (おか いえとし)
    • 明石 全登(あかし たけのり、ぜんとう)
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