津軽為信

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生没年

  • 1550 ~ 1608

    出生
    1550年1月18日(天文19年 1月1日)

    死没
    1608年1月22日(慶長12年12月5日)

享年 58

名前

  • 扇     (おうぎ、幼名)
  • 大浦 弥四郎(おおうら やしろう)
  • 大浦 為信 (おおうら ためのぶ)
  • 津軽 為信 (つがる ためのぶ)

津軽為信 人物解説

  • 出自には諸説あり(南部氏支族の久慈氏など)
  • 周囲の諸勢力を制圧し、津軽地方一帯を支配下に置く
  • 陸奥国弘前藩の初代藩主
  • 津軽為信と三男で二代藩主である津軽信枚(のぶひら)によって、高岡城(後の弘前城)が築城された

父母血縁

父母祖父母曾祖父母
津軽為信
(大浦為信)
大浦守信?大浦政信大浦光信?
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年表( 津軽為信 略歴 )

所在出来事
15501陸奥南部氏の一族といわれる大浦氏に出生する
1567頃陸奥伯父で大浦氏当主である大浦為則(おおうら ためのり)の娘 阿保良(おうら)を正室に迎え、婿養子となる
15716陸奥南部氏当主である南部晴政の叔父 石川高信が居城としている石川城を奇襲し奪取する
1576陸奥南部氏家臣の滝本重行(たきもと しげゆき)が城代を務める大光寺城(だいこうじじょう)を攻略する
1578陸奥浪岡北畠氏の北畠顕村(きたばたけ あきむら)が居城とする浪岡城(なみおかじょう、浪岡御所)を落城させる
15797陸奥六羽川合戦
(ろっぱがわかっせん)

出羽北部を根拠地とする安東氏(後の秋田氏)の命を受けた比山氏と、北畠氏、滝本氏の連合軍が津軽に侵攻する
為信が率いる大浦軍は苦戦するが、侵攻してきた連合軍を撃退する

1585陸奥油川城(あぶらかわじょう)を攻略し、外が浜(そとがはま)一帯を支配下に置く
1589出羽国の安東実季(さねすえ、後の秋田実季)と和睦を結ぶ
1589家臣を上洛させ、豊臣秀吉に名馬や鷹を献上し、所領を安堵される
1590駿河駿河国の長久保城(ながくぼじょう)において、小田原征伐の為に入城していた豊臣秀吉に謁見する
1593山城上洛し、豊臣政権より津軽領有の安堵状を得る
以前、関白であった近衛前久(このえ さきひさ)を訪問し、紋に杏葉牡丹(ぎょうようぼたん)を使用することと、藤原姓を名乗ることを許される
姓を大浦より、津軽に改姓する
1594陸奥本拠地を大浦城から、堀越城(ほりこしじょう)へ移す
160010美濃関ヶ原の戦い
(せきがはらのたたかい)

徳川家康率いる東軍が、石田三成らを中心とする西軍を撃破する

160010美濃大垣城の戦い
(おおがきじょうのたたかい)

東軍方であった為信率いる津軽軍は、西軍方であった大垣城攻めに参戦する

1603陸奥高岡城(後の弘前城)の建築を始める
160712山城為信は病を押して嫡男の津軽信建(つがる のぶたけ)を見舞うために上洛するが、到着前に信建が亡くなる
16081山城上洛した京において、病死する 享年58

※年月は西暦 

主君

  • 豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)1590~
    関白 1590年全国統一
  • 豊臣 秀頼(とよとみ ひでより)1598~
    1593年出生 秀吉の子
  • 徳川 家康(とくがわ いえやす)1600~
    三河松平氏出身 征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開いた
  • 徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)1605~
    徳川家康の三男 江戸幕府の第二代征夷大将軍

著名子孫

    • 津軽 信建(つがる のぶたけ)
      津軽為信の長男 豊臣秀頼の小姓として仕え、関ケ原の戦いでは西軍に属した
    • 津軽 信枚(つがる のぶひら)
      津軽為信の三男 兄信建、父為信の死去後、家督を相続し、陸奥国の弘前藩二代藩主となった
    • 津軽 信義(つがる のぶよし)
      津軽信枚の長男、陸奥国の弘前藩三代藩主 母は、石田三成の三女で豊臣秀吉正室の高台院(ねね)の養女となった辰姫(たつひめ、大舘御前)である

一門衆

  • 津軽 建広(つがる たけひろ)
    後北条氏の医師であったが、小田原征伐後に為信の長女を娶り、婿養子となった

著名家臣

  • 沼田 祐光(ぬまた すけみつ)
    沼田面松斎(めんしょうさい)、為信の軍師として活躍し、高岡(弘前)城の城地を選定した
  • 森岡 信元(もりおか のぶもと)
    大浦三老の一人 為信と対立し、関ケ原の戦い直前に暗殺される
  • 兼平 綱則(かねひら つなのり)
    大浦三老の一人
  • 小笠原 信浄(おがさわら のぶきよ)
    大浦三老の一人
  • 乳井 建清(にゅうい たけきよ)
    為信に従い、津軽統一に尽力した
  • 田中 吉祥(太郎五郎)
    1579年の六羽川合戦(ろっぱがわかっせん)において、為信の身代わりとなって討死した
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