竹中重治

この記事は約3分で読めます。

生没年

  • 1544~1579

名前(幼名、改名等)

  • 竹中 重虎(たけなか しげとら)
  • 竹中 重治(たけなか しげはる)
  • 竹中 半兵衛(たけなか はんべえ、通称)

竹中重治 人物解説

  • 美濃の国人衆で竹中氏の出身
  • 美濃の斎藤氏に仕える
  • 斎藤龍興の居城である稲葉山城を少数の兵で乗っ取る
  • 織田信長の家臣となった後、羽柴秀吉の与力となる
  • 秀吉配下として、参謀、軍師的立場として重用されたという

父母血縁

父母祖父母曾祖父母
竹中重治竹中重元竹中重氏_
_
__
_
杉山久左衛門女杉山久左衛門_
_
__
_

年表( 竹中重治 略歴 )

所在出来事
15449美濃美濃の国人衆である大御堂城主の竹中重元の子として出生
15564美濃長良川の戦い(ながらがわのたたかい)
斎藤道三方として参戦する
初陣
1558美濃父 重元が岩手弾正忠誠を滅ぼす
1559美濃父 重元が菩提山城(ぼだいさんじょう)を築き、居城をうつす
1560美濃父 重元より家督を相続し、美濃の国主である斎藤義龍(斎藤道三の嫡男)に仕える
15616美濃斎藤義龍が急死し、子の斎藤龍興が14歳で家督を継ぐ
15634美濃新加納の戦い(しんかのうのたたかい)
美濃に侵攻してきた織田信長の軍に勝利する
15643美濃稲葉山城(いなばやまじょう)の占拠
妻の父である安藤守就(あんどう もりなり)とともに稲葉山城を占拠する
斎藤龍興は鵜飼山城へ逃げ、稲葉山城一帯を半年余り占領する
15679美濃稲葉山城の戦い(いなばやまじょうのたたかい)
西美濃三人衆の稲葉良通、安藤守就、氏家直元が信長軍に内応し、落城する
織田信長が岐阜城に改名して居城とする
1567近江斎藤家より出奔する
北近江の浅井家の客将となるが1年ほどで辞する
1568頃美濃織田信長の配下となり、木下秀吉(豊臣秀吉)の与力に付けられる
15707近江姉川の戦い(あねがわのたたかい)
舅である安藤守就の部隊に参陣する
157712秀吉が信長に毛利氏の勢力下にある中国地方の攻略を命ぜられる
秀吉に従って中国遠征に参加する
15786備前八幡山城主の調略を成功させ、信長に銀子100両を与えられる
1578?有岡城に幽閉されていた黒田孝高(官兵衛)の嫡男 松寿丸(黒田長政)を匿う
15797播磨三木合戦(みきかっせん)
別所長治が籠城する三木城を織田軍が包囲する
陣中にて病に倒れ、死去 享年36

著名子孫

    • 竹中 重門(嫡男、たけなか しげかど)

主君

  • 主君
    • 斎藤 義龍 
    • 斎藤 龍興  1560~1567
    • 織田 信長 1568?~1579
スポンサーリンク
デル株式会社
タイトルとURLをコピーしました