生没年
- 1561~1602
出生
1561年3月 4日(永禄4年2月19日)
死没
1602年3月24日(慶長7年2月 1日)
享年 42
名前
- 井伊 虎松 (いい とらまつ、幼名)
- 井伊 万千代(いい まんちよ)1575~
- 井伊 直政 (いい なおまさ)1582~
井伊直政 人物解説
- 遠江国の井伊谷(いいのや)を本貫とする井伊氏出身
- 父の井伊直親(なおちか)は今川氏の家臣であったが、桶狭間の合戦後に今川氏真に謀反の疑いを掛けられ殺害された
- 幼少の頃から、徳川家康に仕える
- 徳川四天王(酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政)に数えられ、徳川家康の重臣として活躍した
- 関ヶ原の戦いでは、軍監として活躍したが島津義弘軍の追撃戦において狙撃され、足に重傷を負った
父母血縁
父母 | 祖父母 | 曾祖父母 | |
---|---|---|---|
井伊直政 | 井伊直親 | 井伊直満 | 井伊直平 |
井平安直娘 | |||
鈴木重勝娘 | 鈴木重勝 | ||
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ひよ (奥山朝利娘) |
奥山朝利 | 奥山親朝 | |
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年表( 井伊直政 略歴 )
年 | 月 | 所在 | 出来事 |
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1561 | 3 | 遠江 | 今川氏の家臣で、遠江国の国人である井伊氏19代当主 井伊直親(なおちか)の嫡男として出生する |
1563 | 1 | 遠江 | 父の井伊直親が、謀反の疑いの陳謝の為に駿府へ向かう途中で、今川家の重臣であった朝比奈泰朝(あさひな やすとも)の襲撃を受けて殺害された(享年28) |
1565 | 遠江 | 父の許嫁でいとこであった井伊直虎(なおとら)が井伊家の当主となる | |
1575 | 遠江 | 徳川家康に小姓として仕え始め、名を井伊万千代(まんちよ)と改める | |
1581 | 遠江 | 高天神城の戦い (たかてんじんじょうのたたかい) 徳川家康が武田勝頼方の高天神城を攻略する |
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1582 | 遠江 | 元服し、井伊直政(なおまさ)と名乗る | |
1582 | 6 | 京 | 本能寺の変 (ほんのうじのへん) |
1582 | 6 | 河内 伊賀 伊勢 |
伊賀越え (いがごえ) 本能寺の変直後、家康は堺から京への上洛道中であり、家臣に守られ、河内から伊賀を経て三河に帰国する |
1582 | 6-11 | 甲斐 信濃 |
天正壬午の乱 (てんしょうじんごのらん) 本能寺の変直後、空白地帯となった甲斐、信濃に徳川軍が進軍した |
1582 | 遠江 | 直政は旗本先手役となり、武田家の旧臣達を集めた部隊(井伊の赤備え)が編成された | |
1584 | 3~11 | 尾張美濃 | 小牧長久手の戦い (こまきながくてのたたかい) 主君の家康が織田信長の次男の織田信雄と同盟し、羽柴秀吉と戦う |
1584 | 井伊直政が修理大夫に任官される | ||
1586 | 12 | 摂津 | 主君の徳川家康が、大阪城にて豊臣秀吉に臣従する |
1590 | 相模 | 小田原征伐 (おだわらせいばつ) 隣国の北条領へ、徳川軍が豊臣軍の先鋒として参戦する |
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1590 | 武蔵 | 主君の徳川家康が旧北条領(関東)へ移封となる 井伊直政は上野国箕輪(みのわ)に12万石を与えられる |
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1598 | 9 | 山城 | 豊臣秀吉が伏見城にて死去する |
1600 | 10 | 美濃 | 関ヶ原の戦い (せきがはらのたたかい) 徳川家康率いる東軍が、石田三成らを中心とする西軍を撃破する |
1600 | 近江 | 6万石を加増され、近江国佐和山(さわやま)18万石へ転封となる | |
1602 | 3 | 近江 | 佐和山城にて、死去 享年42 |
※年月は西暦
主君
- 徳川 家康(とくがわ いえやす)
三河松平氏出身 征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開いた
著名子孫
- 子
- 井伊 直勝(いい なおかつ、直継)
長男、彦根藩2代藩主となるが、病弱の為に弟の井伊直孝が彦根藩藩主となった。その後、上野国の安中藩初代藩主となる。 - 井伊 直孝(いい なおたか)
次男、彦根藩3代藩主。大坂冬の陣(1614年)では、井伊家の大将として出陣した。徳川家康に兄の直継(直勝)に代わり井伊家の家督を継ぐよう命じられた。
- 井伊 直勝(いい なおかつ、直継)
- 孫
- 井伊 直澄(いい なおすみ)
直孝の五男、彦根藩4代藩主。
- 井伊 直澄(いい なおすみ)
一門衆
- 井伊 直虎(いい なおとら)
井伊家当主であった井伊直盛の娘(次郎法師)。井伊直政の父である井伊直親の許嫁であり、直親死去後、井伊家の当主となった。直政の養母。
著名家臣
- 奥山 朝忠(おくやま ともただ)
直政の母方の従兄弟。家臣として直継、直孝の代まで仕えた。 - 川手 良則(かわて よしのり)
直政の姉である高瀬姫を娶り、井伊家の家老を務めた。 - 木俣 守勝(きまた もりかつ)
明智光秀に仕えたこともあったが、後に直政の寄騎となり、彦根藩の家老を務めた。 - 鈴木 重好(すずき しげよし)
直政の配下となり、後に木俣守勝とともに彦根藩の家老を務めた