生没年
- 1560 ~ 1600
出生
1560年(永禄 3年)
死没
1600年11月6日(慶長 5年10月 1日)
享年 41
名前
- 石田 佐吉(いしだ さきち、幼名)
- 石田 三成(いしだ みつなり)
石田三成 人物解説
- 近江国の坂田郡石田村の石田氏出身
- 羽柴秀吉が近江の長浜城主であった頃から小姓として仕え始める
- 豊臣政権下では、治部少輔(じぶのしょう)に叙任され、奉行として活躍する
- 島清興(しま きよおき、左近)を高禄で召し抱えた
- 関ケ原の戦いにおいて、西軍を主導したが敗れ処刑された
父母血縁
父母 | 祖父母 | 曾祖父母 | |
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石田三成 | 石田正継 | 石田為広 | _ |
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瑞岳院 | 岩田氏? | _ | |
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年表( 石田三成 略歴 )
年 | 月 | 所在 | 出来事 |
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1560 | 近江 | 近江国坂田郡の石田村出身である石田正継(いしだ まさつぐ)の三男として出生する | |
1574頃 | 近江 | 織田信長の家臣であった長浜城主の羽柴秀吉に父や兄とともに仕官する 三成は、秀吉の小姓として仕えた |
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1577 | 織田信長が羽柴秀吉に、中国(毛利)攻めを命じる 三成は、秀吉に従った |
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1582 | 6 | 本能寺の変が起こる | |
1583 | 4 | 近江 | 賤ヶ岳の戦い (しずがたけのたたかい) 主君の羽柴秀吉が織田家の実権を争い柴田勝家と戦い勝利する 勝家を北ノ庄城で自害させる |
1584 | 3~11 | 尾張美濃 | 小牧長久手の戦い (こまきながくてのたたかい) 主君の羽柴秀吉が織田信雄、徳川家康と戦う 秀吉は、信雄と単独で講和し家康とも講和する |
1585 | 8 | 京 | 秀吉が近衛前久の猶子となり藤原秀吉と改名する 関白宣下を受ける |
1586 | 島清興(左近)を高禄で召し抱える | ||
1586 | 豊臣秀吉より、堺奉行に任じられる | ||
1587 | 九州征伐後に豊臣秀吉より、博多奉行に任じられる | ||
1590 | 2-7 | 上野武蔵 | 小田原征伐 (おだわらせいばつ) 北条氏討伐のための豊臣秀吉軍が出陣する |
1590 | 7-8 | 武蔵 | 忍城の戦い (おしじょうのたたかい) 三成は秀吉の命により、忍城を水攻めにする |
1592~1593 | 朝鮮 | 文禄の役 (ぶんろくのえき) 朝鮮に渡り、漢城にて総奉行を務める |
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1595 | 豊臣秀吉より、北近江の4郡を与えられ、佐和山城主に任じられる | ||
1597~1598 | 肥前 | 慶長の役 (けいちょうのえき) 肥前国松浦郡の名護屋城近郊に陣屋を築き、後方支援に従事する |
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1598 | 9 | 豊臣秀吉が伏見城にて死去する | |
1599 | 4 | 豊臣秀頼の傅役(もりやく、養育役)であった前田利家が大坂にて死去する | |
1599 | 4 | 大坂 | 七将による石田三成邸襲撃
豊臣政権の武断派であった七将(福島正則、加藤清正、池田輝政、細川忠興、浅野幸長、加藤嘉明、黒田長政)が大坂の石田三成邸を襲撃する |
1599 | 5 | 徳川家康の武断派との調停により、五奉行を退き佐和山城に蟄居(ちっきょ、謹慎)する | |
1600 | 7 | 会津征伐 (あいづせいばつ) 徳川家康が召喚に応じない上杉景勝に対して征伐軍を自ら率いて出陣する |
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1600 | 8 | 奉行職であった前田玄以、増田長盛、長束正家らが徳川家康に対する13か条の弾劾状を発布する | |
1600 | 8 | 石田三成、宇喜多秀家らが畿内で挙兵する | |
1600 | 8-9 | 山城 | 伏見城の戦い (ふしみじょうのたたかい) 徳川家康の家臣で留守居役であった鳥居元忠が籠る伏見城を攻撃し、落城させる |
1600 | 10 | 美濃 | 関ヶ原の戦い (せきがはらのたたかい) 石田三成らを中心とする西軍は、徳川家康率いる東軍と戦うが敗れる 逃走中であった伊吹山付近で田中吉政の兵に捕縛される |
1600 | 11 | 京 | 鴨川の六条河原にて、斬首となる 享年41 |
※年月は西暦
主君
- 豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)1590~
関白 1590年全国統一 - 豊臣 秀頼(とよとみ ひでより)1598~
1593年出生 秀吉の子
著名子孫
- 子
- 石田 重家(いしだ しげいえ)
嫡男、豊臣秀頼に仕えたが、関ヶ原の戦いの後に出家し助命された。 - 石田 重成(いしだ しげなり)
次男、豊臣秀頼に仕えたが、関ヶ原の戦いの後に陸奥国津軽へ逃れた。 - 深長坊 清幽(しんちょうぼう せいゆう、石田佐吉)
三男、佐和山城の落城際に脱出し、助命され出家した。
- 石田 重家(いしだ しげいえ)
一門
- 石田 正継(いしだ まさつぐ)
父、関ヶ原で西軍が敗れると、守備していた佐和山城が東軍に攻められ自害した。 - 石田 正澄(いしだ まさずみ)
兄、父と同様に、関ヶ原で西軍が敗れると、守備していた佐和山城が東軍に攻められ自害した。
著名家臣
- 島 清興(しま きよおき、左近)
- 蒲生 郷舎(がもう さといえ)
- 前野 忠康(まえの ただやす)