直江兼続

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生没年

  • 1560 ~ 1620

    出生
    1560年(永禄 3年)

    死没
    1620年1月23日(元和 5年12月19日)

享年 60

名前

  • 樋口 与六(ひぐち よろく、幼名)
  • 樋口 兼続(ひぐち かねつぐ)
  • 直江 兼続(なおえ かねつぐ)
      1581 ~
  • 直江 重光(なおえ しげみつ)
      1608 ~

直江兼続 人物解説

  • 越後守護代 長尾氏の分家である上田長尾家の家臣であった樋口氏の出身
  • 上杉家の重臣であった直江氏の家督を相続した
  • 上杉景勝を内政、外交を補佐し、上杉家の執政を行う
  • 直江状により、徳川家康の会津征伐が行われる原因の一つとなった
  • 関ケ原の戦い発生時には、上杉軍を率いて最上義光の支配する山形へ侵攻した
  • 徳川政権下において、米沢藩では家老を務め内政に尽力した

父母血縁

父母祖父母曾祖父母
直江兼続
(樋口兼続)
樋口兼豊樋口兼村_
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直江親綱娘?直江親綱?_
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年表( 直江兼続 略歴 )

所在出来事
1560越後上田長尾家当主である長尾政景に仕えていた樋口兼豊(ひぐち かねとよ)の嫡男として越後国魚沼郡上田庄に出生する
15648越後上田長尾家当主の長尾政景(上杉景勝の父)が死去する
15648越後長尾卯松(うまつ、後の上杉景勝)が上杉輝虎(謙信)の養子となる
卯松(景勝)の近習となり、近侍する
15752越後長尾顕景(あきかげ、卯松)が、上杉景勝に名を改める
景勝が上杉謙信から弾正少弼(だんじょうしょうひつ)の官職を譲られる
15784越後上杉謙信が春日山城にて急死する
1578~1579越後御館の乱
(おたてのらん)

上杉謙信の養子であった上杉景勝と上杉景虎(北条氏康の七男)との間で後継者争いが起こり、上杉景勝方が勝利する

越後上杉景勝の側近として取次役などを務めるようになる
1581越後上杉家家臣の新発田城主である新発田重家(しばた しげいえ)が謀反を起こす
158110越後春日山城内で直江信綱(なおえ のぶつな)が斬殺される
1581越後上杉景勝の命で、直江信綱の正室であったお船の方(直江景綱の娘)を娶り、直江家を継ぎ直江兼続と名乗る
1584頃越後上杉家の内政外交全般の取次ぎ役を直江兼続と共に務めていた狩野秀治(かのう ひではる)が死去する
1586主君の上杉景勝が自ら上洛し、豊臣秀吉と会見し臣従する
158711越後上杉軍が反乱を起こしていた新発田重家を討伐する
158810上杉景勝と共に上洛し、豊臣秀吉から豊臣の氏を授けられる
1589佐渡上杉景勝に従い佐渡へ侵攻し、本間(ほんま)氏を討伐し平定する
15902-7上野武蔵小田原征伐
(おだわらせいばつ)

北条氏討伐のための上杉軍が豊臣秀吉軍に参陣する
上杉軍は前田利家が総指揮をとる北方隊に加わり、北条領北側の上野(こうずけ)より侵攻する

1592~1593朝鮮文禄の役
(ぶんろくのえき)

1593年に主君の上杉景勝と共に朝鮮へ渡り、城を築城する

1595大坂主君の上杉景勝が、徳川家康、毛利輝元、前田利家、宇喜多秀家、小早川隆景らに続き、豊臣家の大老に任じられる
15983会津秀吉の命により、上杉家は加増され越後から会津120万石に移封となる
15989豊臣秀吉が伏見城にて死去する(享年62)
16003会津会津盆地中央の阿賀川流域に神指(こうざし)城の築城を始める
惣奉行は直江兼続が務める
1600直江状(なおえじょう)の送付

主君の上杉景勝が謀叛の疑いにより、徳川家康から上洛の勧告を受ける
直江兼続は主君の上杉景勝が上洛を拒絶する直江状を徳川家康方へ送付した

16007会津征伐
(あいづせいばつ)

徳川家康が召喚に応じない主君の上杉景勝に対して征伐軍を自ら率いて出陣する
石田三成、宇喜多秀家らが畿内で挙兵した為、会津征伐は中止となる

160010出羽慶長出羽合戦
(けいちょうでわかっせん)

徳川家康軍が畿内へ転進した為、重臣の直江兼続(なおえ かねつぐ)を出羽の最上領へ侵攻させる
最上方の諸城を落城させるが関ケ原にて西軍が大敗した為、上杉軍は撤退した

1601直江兼続は、主君の上杉景勝と共に上洛し、徳川家康に陳謝する
上杉家は出羽国米沢30万石へ減封となる
16046出羽後の米沢藩第二代藩主となる上杉定勝(さだかつ)が出生する
16082出羽直江重光(しげみつ)へ改名する
161412摂津大坂冬の陣
(おおさかふゆのじん)

上杉軍は徳川方として出陣する
鴫野(しぎの)の戦いで功を挙げる
16201江戸米沢藩の上杉家江戸藩邸にて病死 享年60

※年月は西暦 

主君

  • 上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)
    上杉謙信の養子となり、謙信死後に御館の乱で勝利し上杉家の当主となった。豊臣政権下では五大老の一人を務めた。

著名子孫

    • 直江 景明(なおえ かげあき)
      長男、1615年に22歳の若さで病死した

一門

  • 大国 実頼(おおくに さねより)
    実弟、樋口兼豊の次男。越後の豪族小国氏の養子となる。
  • 樋口 秀兼(ひぐち ひでかね)
    実弟、樋口兼豊の三男。長兄の兼続が直江家に、次兄の実頼が小国家に養子となった為、樋口家の家督を継いだ。

著名家臣

  • 上泉 泰綱(かみいずみ やすつな)
  • 坂田 義満(さかた よしみつ)
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