生没年
- 1522~1564
出生
1522年3月10日(大永2年2月13日)
死没
1564年8月10日(永禄7年7月4日)
享年 43
名前(幼名、改名等)
- 千熊丸(せんくままる、幼名)
- 三好 利長(みよし としなが)1533?~
- 三好 範長(みよし のりなが)1541~
- 三好 長慶(みよし ながよし)1548~
三好長慶 人物解説
- 幕府管領 細川晴元の重臣である三好元長の嫡男
- 主家である細川氏より実権を奪う
- 将軍足利義晴、義輝を京より追放する
- 将軍足利義輝を後見し三好政権を成立させる
- 畿内全域を勢力下におき三好氏の全盛期を築く
父母血縁
父母 | 祖父母 | 曾祖父母 | |
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三好長慶 | 三好元長 | 三好長秀 | 三好之長 |
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年表( 三好長慶 略歴 )
年 | 月 | 所在 | 出来事 |
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1522 | 3 | 阿波 | 細川京兆家当主である細川晴元の重臣であった三好元長(みよし もとなが)の嫡男として出生する |
1532 | 和泉 | 父の三好元長が主君の細川晴元らの策略により、一向一揆に攻められ自害する | |
1533? | 元服し、三好利長(みよし としなが)と名乗る | ||
1534 | 河内 | 河内守護代である木沢長政(きざわ ながまさ)の仲介により、細川晴元へ帰属する | |
1541 | 8 | 河内 | 三好範長(みよし のりなが)と改名する |
1542 | 4 | 河内 | 太平寺の戦い (たいへいじのたたかい) 細川晴元方の援軍として参戦し、木沢長政を敗死させる |
1547 | 8 | 摂津 | 舎利寺の戦い (しゃりじのたたかい) 細川氏綱らの軍に勝利する |
1548 | 三好長慶(みよし ながよし)と改名する | ||
1549 | 7 | 摂津 | 江口の戦い (えぐちのたたかい) 一族の三好政長を討ち取り勝利する 細川晴元、足利義晴、義輝らが近江へ逃れる |
1551 | 京 | 相国寺の戦い (しょうこくじのたたかい) 細川晴元の軍が京を奪回しようとするが撃退する |
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1558 | 京 | 和睦した足利義輝が帰京する | |
1561 | 4 | 和泉 | 弟の十河一存が急死する |
1562 | 4 | 和泉 | 久米田の戦い (くめだのたたかい) 弟の三好実休が討死する |
1563 | 摂津 | 嫡男の三好義興が病死 | |
1564 | 6 | 河内 | 弟の安宅冬康を自害させる |
1564 | 8 | 河内 | 居城の飯盛山城(いいもりやまじょう)にて病死 享年43 |
※年月は西暦
主君
- 細川 晴元(ほそかわ はるもと)
室町幕府管領 細川京兆家(ほそかわけいちょうけ)17代当主 - 細川 氏綱(ほそかわ うじつな)
細川京兆家18代当主 - 足利 義輝(あしかが よしてる)
室町幕府第13代征夷大将軍 1565年、永禄の変にて討死
著名子孫
- 子
- 三好 義興(みよし よしおき)
嫡男 1563年、病死する 享年22 - 三好 義継(みよし よしつぐ)
養子、弟である十河一存の子
- 三好 義興(みよし よしおき)
一門衆
- 三好 実休(みよし じっきゅう、義賢)
弟、三好元長の次男 久米田の戦いにて討死 - 安宅 冬康(あたぎ ふゆやす)
弟、三好元長の三男 - 十河 一存(そごう かずまさ)
弟、三好元長の四男 - 三好 長逸(みよし ながやす)
一族、三好三人衆の一人 - 三好 宗渭(みよし そうい、政康)
一族、三好三人衆の一人
著名家臣
- 松永 久秀(まつなが ひさひで)
重臣、長慶に重用された - 岩成 友通(いわなり ともみち)
三好三人衆の一人