豊臣秀吉

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生没年

  • 1537~1598

    出生
    1537年3月17日(天文6年2月6日)

    死没
    1598年9月18日(慶長3年8月18日)

享年 62

名前

  • 木下 藤吉郎(きのした とうきちろう)
  • 羽柴 秀吉(はしば ひでよし)1573~
  • 藤原 秀吉(ふじわら ひでよし)1585~
  • 豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)1586~

豊臣秀吉 人物解説

  • 下級武士または農民である木下弥右衛門の子として出生
  • 織田信長に仕える
  • 信長の臣下として功績を重ね重臣となる
  • 山崎の戦いにて明智光秀を破る
  • 賤ヶ岳の戦いにて柴田勝家を破る
  • 小牧長久手の戦いにて徳川家康と戦う
  • 近衛前久の猶子となり関白に就任する
  • 全国を平定し天下統一を達成する
  • 明を征服するため朝鮮に二度出兵する

父母血縁

父母 祖父母 曾祖父母
豊臣秀吉 木下弥右衛門 _ _
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仲(天瑞院) _ _
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年表( 豊臣秀吉 略歴 )

所在 出来事
1537 3 尾張 尾張国愛知郡中村にて出生する
1551頃 遠江 今川氏配下の松下之綱に仕える
1554頃 尾張 織田信長に仕える
1561 尾張 浅野長勝(浅野長政養父)の養女おねと結婚する
1566 美濃 墨俣城を築城する
1568 信長が足利義昭を擁し上洛する
明智光秀らと共に京の奉行を務める
1570 越前 金ヶ崎の退き口
(かねがさきののきくち)

金ヶ崎城から撤退する際、明智光秀らと殿を努める

1570 7 近江 姉川の戦い
(あねがわのたたかい)

織田徳川連合軍が浅井朝倉連合軍に勝利する
横山城の城番となる

1573 9 越前 一乗谷城の戦い
(いちじょうだにじょうのたたかい)

一乗谷城を攻略し朝倉氏を滅ぼす

1573 9 近江 小谷城の戦い
(おだにじょうのたたかい)

小谷城を攻略し浅井氏を滅ぼす
小谷城の京極丸を攻め落とす

1573 近江 浅井氏の旧領北近江3郡を与えられ長浜城を築く
羽柴秀吉に改名する
1575 6 三河 長篠の戦い
(ながしののたたかい)

織田徳川連合軍が武田軍を壊滅させる

1577 11 加賀 手取川の戦い
(てどりがわのたたかい)

柴田勝家と意見が対立し無断で撤兵する
織田軍が上杉謙信の軍に敗れる

1577 11 大和 信貴山城の戦い
(しぎさんじょうのたたかい)

織田信忠が率いる織田軍が松永久秀の居城 信貴山城を攻略する

1577 信長に中国地方の平定を命じられる
1579 12 摂津 有岡城の戦い
(ありおかじょうのたたかい)

謀反を起こした荒木村重を攻め鎮圧する

1582 4~6 備中 備中高松城の戦い
(びっちゅうたかまつじょうのたたかい)

毛利方の清水宗治が守備する高松城を水攻めにより攻略する

1582 6 本能寺の変
(ほんのうじのへん)

明智光秀の謀反により本能寺にて織田信長が自害する
信長の嫡男であり織田家当主の織田信忠も攻められ二条新御所にて自害

1582 7 山城 山崎の戦い
(やまざきのたたかい)

中国攻めより引き返し、明智光秀と戦い勝利する
1582 7 尾張 清州会議
(きよすかいぎ)

信忠の嫡男 三法師(織田秀信)が織田家家督を継ぐ
織田家家臣の実質的な筆頭となる
1583 4 近江 賤ヶ岳の戦い
(しずがたけのたたかい)

織田家実権を争い柴田勝家と戦い勝利する
勝家を北ノ庄城で自害させる
1583 摂津 大坂城の築城し始める(天守は1585年に完成)
1584 3~11 尾張美濃 小牧長久手の戦い
(こまきながくてのたたかい)

織田信雄、徳川家康と戦うが池田恒興、森長可らを討ち取られる
信雄と単独で講和し家康とも講和する

1585 8 近衛前久(このえ さきひさ)の猶子(ゆうし)となり、藤原秀吉と改名する
関白宣下を受ける
1586 9 正親町(おおぎまち)天皇から豊臣の姓を賜り、豊臣秀吉と改名する
1587 2 太政大臣に就任する
1587 1 豊後 戸次川の戦い
(へつぎがわのたたかい)

大友宗麟に出した援軍が島津家久の軍に敗れる
十河存保、長宗我部信親らを討ち取られる

1587 5 日向 根白坂の戦い
(ねじろざかのたたかい)

九州の東岸より侵攻した弟の豊臣秀長が島津義久の軍を破る

1587 6 薩摩 薩摩川内の泰平寺にて島津義久が降伏する
九州を平定する
1587 前年より京に建設した聚楽第(じゅらくだい)に移り政務を行う
1590 相模 小田原征伐
(おだわらせいばつ)

関東の一大勢力であった北条氏を攻め降伏させる

1590 8月頃 奥州仕置
(おうしゅうしおき)

奥羽地方の領土の再配分を行う

1592 2 甥(姉の息子)の豊臣秀次に関白を継承させる
1592~1593 朝鮮 文禄の役
(ぶんろくのえき)

明を征伐するため朝鮮に出兵する

1593 8 摂津 大坂城にて拾丸(豊臣秀頼)が誕生する
1595 8 紀伊 謀反の嫌疑が掛かった豊臣秀次を高野山にて切腹させる
1597~1598 朝鮮 慶長の役
(けいちょうのえき)

再度、明を征伐するため朝鮮に出兵する

1598 9 山城 伏見城にて死去 享年62

※年月は西暦 

著名子孫 一門

    • 羽柴 秀勝(はしば ひでかつ)
      1570? ~ 1576 幼名は石松丸、秀吉の側室より出生したという
    • 豊臣 鶴松(とよとみ つるまつ)
      1589 ~ 1591 母は淀殿であったが、夭折した
    • 豊臣 秀頼(とよとみ ひでより)
      1593 ~ 1615 大坂夏の陣により、徳川家康に攻められ滅亡した
  • 一門
    • 豊臣 秀長(とよとみ ひでなが)
      1540 ~ 1591 豊臣秀吉の実弟、補佐役として政務、軍務の両面で活躍したが秀吉に先立ち病死した
    • 豊臣 秀次(とよとみ ひでつぐ)
      1568 ~ 1595 豊臣秀吉の甥、姉日秀の長男 1591年、秀吉の後継者として関白に就任するが、1595年に謀反の疑いにより自害した
    • 豊臣 秀勝(とよとみ ひでかつ)
      1569 ~ 1592 豊臣秀吉の甥、姉日秀の次男 1592年、朝鮮出兵(文禄の役)の陣中において病死した
    • 豊臣 秀保(とよとみ ひでやす)
      1579 ~ 1595 豊臣秀吉の甥、姉日秀の三男 豊臣秀長の婿養子となるが1595年に急死した

主君

  • 主君

著名家臣

  • 天下統一後(1590年~)
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