黒田孝高

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生没年

  • 1546~1604

名前(幼名、改名等)

  • 小寺 万吉(こでら まんきち、幼名)
  • 小寺 祐隆(こでら すけたか)
  • 小寺 孝隆(こでら よしたか)
  • 黒田 孝高(こでら よしたか)
  • 黒田 如水(くろだ じょすい)
  • 黒田 官兵衛(くろだ かんべえ、通称)

黒田孝高 人物解説

  • 西播磨の有力勢力である小寺氏配下の小寺(黒田)職隆(もとたか)の嫡男として生まれる
  • 主君の小寺政職は、功績により父の職隆を姫路城代に任じ養女を嫁がせ、小寺姓を名乗らせた
  • 父の職隆から家督を継ぎ、姫路城代となる
  • 仕えていた小寺政職を進言により織田信長へ臣従させる
  • 羽柴秀吉の側近として活躍する
  • 関ヶ原の戦い本戦には嫡男の黒田長政が家康方で参戦し、自身は九州において転戦し立花宗茂などの西軍勢力を制圧した

父母血縁

父母祖父母曾祖父母
黒田孝高小寺(黒田)職隆黒田重隆黒田高政
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妻鹿氏_
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岩姫(小寺政職養女)明石正風_
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年表( 黒田孝高 略歴 )

所在出来事
154612播磨播磨国の姫路城代である小寺職隆(もとたか)の嫡男として出生
1561播磨主君である小寺政職(こでら まさもと)の近習(きんじゅ、そばに仕える役)となる
1562播磨小寺官兵衛祐隆(すけたか)と名乗る
近隣の土豪との戦いで初陣を飾る
1567頃播磨父の職隆から家督を相続し姫路城代となる
小寺政職の姪にあたる光(てる)を正室に迎える
15695播磨青山の戦い(あおやまのたたかい)
姫路城に侵攻してきた龍野城主の赤松政秀軍を伏兵により撃退する
15696播磨土器山の戦い(かわらけやまのたたかい)
再度、攻め込んできた赤松政秀軍に夜襲うけるが持ちこたえ、逆に夜襲をかけ撃退する
1575播磨主君の小寺政職に織田氏への臣従を進言する
15757~8頃美濃羽柴秀吉の取次により、岐阜城で信長に謁見する
圧切長谷部(へしきりはせべ、名刀)を信長より授かる
1577播磨英賀の戦い(あがのたたかい)
姫路へ侵攻してきた毛利軍に奇襲をかけ撃退する
157711播磨嫡男の松寿丸(黒田長政)を人質として羽柴秀吉を通して織田信長の元へ送る
進駐してきた秀吉に姫路城本丸を提供する
1578摂津摂津国の荒木村重が信長に謀反を起こす
主君の小寺政職が村重に呼応しようとした為、村重を翻意させるために有岡城(ありおかじょう)へ赴く
説得できず、土牢に幽閉される
1580摂津荒木方が降伏し有岡城が開城され、孝高(官兵衛)は救出される
1580播磨主君であった小寺政職が織田軍に追われ毛利領の備後国鞆の浦(とものうら)に逃れる
1580?織田家の家臣となり秀吉の与力となる
姓を小寺から本来の一族の姓である黒田に戻す
15824~6備中備中高松城の戦い(びっちゅうたかまつじょうのたたかい)
毛利氏配下の清水宗治が籠城する高松城を水攻めする
在陣中に京にて本能寺の変が起こり、信長が自害する
急ぎ毛利氏と講和し京に向けて撤退する
15826山城山崎の戦い(やまざきのたたかい)
摂津国と山城国の境付近で明智光秀軍と戦い勝利する
孝高の軍勢は天王山に布陣した
15834近江賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)
秀吉が柴田勝家と織田家実権を争って戦い、勝利する
柴田方である佐久間盛政の部隊より攻撃を受けるが持ちこたえる
1583摂津秀吉が大坂城の築城を始める(天守は1585年に完成)
孝高は縄張(城の曲輪や堀、石垣などの配置を定めること)を担当する
15843~11尾張美濃小牧長久手の戦い(こまきながくてのたたかい)
秀吉が織田信雄、徳川家康と戦う
大阪城の留守居役を務めるが秀吉に召喚され参陣する
15857~9四国四国攻め(しこくぜめ)
秀吉がほぼ四国を制圧していた長宗我部元親と戦う
孝高は先陣の軍監(軍事の監督をする役職)を務め、讃岐や阿波の諸城を制圧する
長宗我部元親は讃岐と阿波を羽柴勢に、伊予を毛利勢に攻め込まれ、秀吉に降伏した
1586~1587九州九州征伐(きゅうしゅうせいばつ)
秀吉が九州を平定するために一大勢力であった島津氏と戦う
孝高は毛利勢の軍監を務め、豊前方面より侵攻する
根白坂の戦い(ねじろざかのたたかい)では、豊臣秀長配下にあって島津軍に挟撃をしかけ、勝利に貢献した
九州の西部より秀吉軍、東部より秀長軍が大軍により島津領に侵攻した為、島津勢は対応できずに当主の島津義久は降伏した
15878豊前豊前国に12万石の所領を与えられる
豊前国中津(大分県中津市)に中津城を築城し始める
1589豊前嫡男の黒田長政(くろだ ながまさ)に家督を譲る
1590相模小田原征伐
秀吉が関東の一大勢力であった北条氏を攻め降伏させる
秀吉の命により北条氏との交渉役を務める
1592~1593朝鮮文禄の役(ぶんろくのえき)
総大将の宇喜多秀家のもと軍監を務める
15939豊前剃髪して、如水軒円清(じょすいけんえんせい)と号す
1597~1598朝鮮慶長の役(けいちょうのえき)
総大将の小早川秀秋のもと軍監を務める
秀吉が死去した為、五大老により帰国命令が発令される
160010美濃関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)
嫡男の黒田長政が東軍の主力として戦う
如水(孝高)は九州にあって転戦し立花宗茂などの西軍勢力を制圧した
1601筑前長政が関ケ原の戦いの功績により、豊前国中津から筑前国名島(福岡)52万石への加増移封となる
16044山城伏見の藩邸にて死去 享年59

著名子孫

    • 黒田 長政(くろだ ながまさ)
      嫡男、筑前福岡藩初代藩主

主君 著名家臣

  • 主君
  • 家臣
    • 栗山 利安(くりやま としやす)
      孝高、長政、忠之の三代に仕え、黒田家家臣の筆頭であった
    • 後藤 基次(ごとう もとつぐ、又兵衛)
      孝高、長政に仕えるが孝高の死後に黒田家を出奔する。後に大坂の陣では豊臣方で参陣し、道明寺の戦いにおいて討死した。
    • 母里 友信(もり とものぶ、太兵衛)
      孝高、長政に仕え、九州征伐や関ヶ原の戦いでは九州において孝高に従い活躍した。槍の使い手の剛将であった。
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