島津義久

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生没年

  • 1533 ~ 1611

    出生
    1533年3月 4日(天文 2年2月 9日)

    死没
    1611年3月 5日(慶長16年1月21日)

享年 79

名前

  • 虎寿丸(とらじゅまる、幼名)
  • 島津 忠良(しまづ ただよし)
  • 島津 義辰(しまづ よしたつ)1552~
  • 島津 義久(しまづ よしひさ)
  • 島津 龍伯(しまづ りゅうはく)1587~

島津義久 人物解説

  • 薩摩大隅守護の島津氏第16代当主
  • 伊東氏を破り、日向を制圧
  • 耳川(みみかわ)の戦いにて大友宗麟の軍に大勝する
  • 沖田畷(おきたなわて)の戦いにて龍造寺隆信を討ち取る
  • 戸次川(へつぎがわ)の戦いにて豊臣大友連合軍を打ち破る
  • 大友領を除く九州をほぼ平定する
  • 豊臣秀吉の九州征伐により降伏
  • 薩摩の大名として統治を行う

父母血縁

父母 祖父母 曾祖父母
島津義久 島津貴久 島津忠良 島津善久
新納是久娘
島津成久娘 島津成久
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入来院重聡娘 入来院重聡 入来院重豊
北原貴兼娘
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年表( 島津義久 略歴 )

所在 出来事
1533 3 薩摩 薩摩島津氏の分家出身である島津貴久の嫡男として出生する
1539 薩摩 島津本宗家の家督を継承していた父の島津貴久が祖父である島津忠良と薩摩半島を平定する
1552 薩摩 将軍足利義輝から偏諱(へんき)を受け、島津義辰(よしたつ)と改名する
1554 薩摩 岩剣(いわつるぎ)城における国人衆との戦いで初陣を果たす
1566 薩摩 父の島津貴久が隠居する
家督を相続し、島津家第16代当主となる
1554~1570 薩摩 国人衆と戦い、薩摩を平定する
1572 6 日向 木崎原の戦い
(きざきばるのたたかい)

弟の島津義弘(よしひろ)が日向の伊東義祐(よしすけ)の軍を撃退する
1574 大隅 大隅を平定する
1577 日向 日向の諸城を攻略し、伊東氏を追放する
1578 11 日向 耳川の戦い
(みみかわのたたかい)

日向を奪回するために出陣してきた大友宗麟の軍を壊滅させる
1584 5 肥前 沖田畷の戦い
(おきたなわてのたたかい)

肥前の島原半島に進出してきた龍造寺隆信を末弟である島津家久の軍が討ち取る
1584 龍造寺氏が軍門に降る
1586 8 筑前 岩屋城の戦い
(いわやじょうのたたかい)

筑前に侵攻し、大友氏の高橋紹運が籠城する岩屋城を攻略する
1587 1 豊後 戸次川の戦い
(へつぎがわのたたかい)

弟の島津家久が率いる軍が大友氏の援軍に来た豊臣軍に勝利する
十河存保(そごう まさやす)、長宗我部信親(ちょうそかべ のぶちか)らを討ち取る
1587 5 日向 根白坂の戦い
(ねじろざかのたたかい)

九州の東岸より侵攻してきた豊臣秀長の軍に決戦を仕掛けるが敗れ退却する
1587 薩摩 剃髪(ていはつ)し、龍伯と称する
1587 6 薩摩 薩摩川内の泰平寺にて豊臣秀吉と会見し、降伏する
薩摩一国を安堵される
1602 薩摩 家督を甥の島津忠恒(ただつね)に譲る
1611 3 大隅 国分(こくぶ)城にて病死 享年79

主君 著名家臣

著名子孫

  • 養子
    • 島津 忠恒(しまづ ただつね)
      弟である島津義弘の三男、薩摩藩初代藩主

一門衆

  • 島津 義弘(しまづ よしひろ)
    弟、島津貴久の次男
  • 島津 歳久(しまづ としひさ)
    弟、島津貴久の三男
  • 島津 家久(しまづ いえひさ)
    弟、島津家久の四男

著名家臣

  • 新納 忠元 (にいろ ただもと)
  • 伊集院 忠棟(いじゅういん ただむね)
  • 山田 有信 (やまだ ありのぶ)
  • 東郷 重位 (とうごう ちゅうい、しげかた)
  • 種子島 時尭(たねがしま ときたか)
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