生没年
- 1543~1616
1543年1月31日(天文11年12月26日) 出生
1616年6月 1日(元和 2年 4月17日) 死没
享年 75
名前(幼名、改名等)
- 竹千代(たけちよ、幼名)
- 松平 元信(まつだいら もとのぶ)1555~
- 松平 元康(まつだいら もとやす)1557?~
- 松平 家康(まつだいら いえやす)1563~
- 徳川 家康(とくがわ いえやす)1566~
徳川家康 人物解説
- 三河国人衆である松平氏出身
- 父の松平広忠の代より今川氏に従属していた
- 桶狭間の戦いののち今川氏から独立
- 織田信長と同盟する(清洲同盟)
- 三方ヶ原の戦いにおいて武田信玄に敗れる
- 長篠の戦いにおいて織田信長とともに武田勝頼を破る
- 本能寺の変後、甲斐信濃に進出する
- 小牧長久手の戦いにて、羽柴秀吉と戦う
- 豊臣政権では五大老の筆頭となる
- 関ヶ原の戦いに勝利し、征夷大将軍となる
- 大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす
父母血縁
父母 | 祖父母 | 曾祖父母 | |
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徳川家康 | 松平広忠 | 松平清康 | 松平信忠 |
大河内満成女 | |||
青木貞景女 | _ | ||
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於大の方 (おだいのかた) |
水野忠政 | 水野清忠 | |
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華陽院 (けよういん) |
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年表( 徳川家康 略歴 )
年 | 月 | 所在 | 出来事 |
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1543 | 1 | 三河 | 三河国人衆である松平氏当主の松平広忠の嫡男として出生 |
1547 | 尾張 | 尾張の織田信秀(織田信長の父)の人質になる | |
1547 | 駿河 | 今川氏の捕虜となった織田信広(織田信長の庶兄)と交換となり、今川氏の人質となる | |
1549 | 三河 | 父 松平広忠が死去 | |
1555 | 駿河 | 駿府の今川義元の下で元服し、松平元信(まつだいら もとのぶ)と名乗る | |
1557 | 駿河 | 今川義元の姪である築山殿(つきやまどの)と結婚する | |
駿河 | 松平元康(まつだいら もとやす)と改名する | ||
1559 | 4 | 駿河 | 嫡男の松平信康が生まれる |
1560 | 5 | 尾張 | 桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい) 桶狭間にて今川義元が織田信長の奇襲を受け討死する 今川軍の先鋒として尾張の大高城に在城していた |
1561 | 三河 | 今川氏勢力下の牛久保城を攻撃し、今川氏より独立する | |
1562 | 尾張 | 清洲同盟(きよすどうめい) 清洲城において、織田信長と同盟を結ぶ |
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三河 | 松平家康(まつだいら いえやす)と改名する | ||
1563~1564 | 三河 | 三河一向一揆(みかわいっこういっき) 西三河の本願寺門徒に本多正信ら家臣団の一部が加わり一揆を起こす 一揆と和睦し、三河の一向宗を禁止とする |
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~1566 | 三河 | 三河国を平定する | |
1566 | 三河 | 朝廷から三河守に任ぜられる 徳川家康(とくがわ いえやす)と改姓する |
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1568~1569 | 遠江 | 遠江へ進出 武田信玄と謀り、今川氏勢力下の遠江へ侵攻する 掛川城に籠城する今川氏真を降伏させ、遠江を平定する |
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1570 | 5 | 越前 | 金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい) 越前の朝倉氏を討伐するため、織田軍と共同で金ヶ崎城を攻略する 北近江の浅井氏が同盟を破棄したため、撤退する |
1570 | 7 | 近江 | 姉川の戦い(あねがわのたたかい) 織田徳川連合軍が浅井朝倉連合軍に勝利する |
1570 | 遠江 | 遠江の曳馬(ひくま)城を改修と拡大を行う。浜松城と改名し本拠を移す | |
1572 | 10 | 三河遠江 | 武田信玄の西上作戦(せいじょうさくせん) 武田信玄が総勢3万の兵で徳川領へ侵攻 |
1572 | 10 | 遠江 | 一言坂の戦い(ひとことざかのたたかい) 武田軍の先陣と遭遇し撤退するが追撃をうける |
1573 | 1 | 遠江 | 二俣城の戦い(ふたまたじょうのたたかい) 遠江の重要拠点であった二俣城が武田軍の攻撃により落城する |
1573 | 1 | 遠江 | 三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい) 西進する武田軍へ追撃しようとするが、待ち構えていた武田軍に撃破される |
1573 | 3 | 遠江 | 野田城の戦い(のだじょうのたたかい) 東三河の野田城が武田軍に攻められ落城する 武田信玄の病状が悪化し武田軍が撤退する |
1573 | 5 | 武田信玄が甲斐への撤退中に信濃で病死する | |
1575 | 6 | 三河 | 長篠の戦い(ながしののたたかい) 織田徳川連合軍が武田勝頼軍を壊滅させる |
1579 | 10 | 遠江 | 嫡男の松平信康を自害させる |
1582 | 3 | 甲州征伐(こうしゅうせいばつ) 織田信忠が率いる織田軍が信濃 甲斐に侵攻し武田家を滅亡させる 家康は駿河の武田領に侵攻し制圧する |
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1582 | 6 | 京 | 本能寺の変(ほんのうじのへん) 織田信長が明智光秀 の謀反により本能寺にて自害する 家康は堺から京への上洛道中であり、河内から伊賀を経て三河に帰国する |
1582 | 6~11 | 甲斐信濃 | 天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん) 本能寺の変により統治者不在となった甲斐、信濃に進出する |
1584 | 3~11 | 尾張美濃 | 小牧長久手の戦い 織田信長の次男の信雄と同盟し羽柴秀吉と戦う 長久手の戦いにおいて、池田恒興、森長可らを討ち取る 信雄が単独で秀吉と講和し家康とも講和する |
1585 | 信濃 | 第一次上田合戦(うえだかっせん) 上杉方に造反した真田昌幸に討伐の兵を送るが撃退される |
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1586 | 遠江 | 秀吉の妹である朝日姫を正室に迎える | |
1586 | 12 | 摂津 | 大坂城において秀吉に謁見し、臣従する |
1587 | 1 | 駿河 | 浜松城から駿府城へ本拠を移す |
1590 | – | 相模 | 小田原征伐(おだわらせいばつ) 隣国の北条領へ豊臣軍の先鋒として参戦する |
1590 | 武蔵 | 討伐した北条氏の領土(関東)へ移封となる | |
1598 | 9 | 山城 | 豊臣秀吉が伏見城にて死去する 遺言により秀頼を託され、実質的な五大老筆頭となる |
1600 | 7 | 会津征伐(あいづせいばつ) 会津の上杉景勝を討伐する兵を起こす 石田三成が挙兵したため、西へ転身する |
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1600 | 8~9 | 山城 | 伏見城の戦い(ふしみじょうのたたかい) 家康方が籠城する伏見城が、西軍に攻められ落城する 家臣の鳥居元忠らが討死する |
1600 | 10 | 美濃 | 関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい) 石田三成らを中心とする西軍を撃破する 反徳川勢力を一掃し、覇権を確立する |
1603 | 3 | 山城 | 朝廷より征夷大将軍へ任命の宣旨(せんじ)を受ける |
1605 | 6 | 山城 | 将軍職を辞任し、三男の徳川秀忠に江戸幕府の第2代征夷大将軍を譲る |
1607 | 6 | 駿河 | 駿府城に移り、大御所政治を行う |
1614 | 12 | 摂津 | 大坂冬の陣(おおさかふゆのじん) 豊臣秀頼の籠城する大阪城を包囲し攻撃する 大阪城の惣構(そうがまえ)等を埋めることを条件に和睦する |
1615 | 6 | 摂津 | 大坂夏の陣(おおさかなつのじん) 豊臣方の再戦の準備を口実に出兵する |
1615 | 6 | 摂津 | 天王寺 岡山の戦い(てんのうじ おかやまのたたかい) 豊臣方が大阪城南方の平野部で決戦を挑む 真田信繁(幸村)らの突撃を受けるが撃破する |
1615 | 6 | 摂津 | 豊臣家の滅亡 大阪城を落城させ、豊臣秀頼を自害させる |
1616 | 6 | 駿河 | 駿府城にて死去 享年75 |
著名子孫
- 子
- 松平 信康(まつだいら のぶやす)
嫡男、1579年に自害 - 結城 秀康(ゆうき ひでやす)
次男、1584年に羽柴家へ養子 1590年に結城家へ養子 越前松平家初代 - 徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)
三男、江戸幕府の第2代征夷大将軍 - 松平 忠吉(まつだいら ただよし)
四男、尾張清洲藩主 - 武田 信吉(たけだ のぶよし)
五男、家康が武田氏の名跡を継がせた - 松平 忠輝(まつだいら ただてる)
六男、越後高田藩主 後に改易され流罪となる - 徳川 義直(とくがわ よしなお)
九男、御三家の一つである尾張徳川家の初代藩主 - 徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)
十男、御三家の一つである紀州徳川家の初代藩主 - 徳川 頼房(とくがわ よりふさ)
十一男、御三家の一つである水戸徳川家の初代藩主
- 松平 信康(まつだいら のぶやす)
- 孫
- 松平 忠直(まつだいら ただなお)
結城秀康の嫡男 越前松平家の二代 - 徳川 家光(とくがわ いえみつ)
徳川秀忠の次男 江戸幕府の第3代征夷大将軍 - 徳川 忠長(とくがわ ただなが)
徳川秀忠の三男 駿河大納言 後に改易され自害
- 松平 忠直(まつだいら ただなお)