島津義弘

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生没年

  • 1535~1619

名前

  • 島津 忠平(しまづ ただひら)1546~
  • 島津 義珍(しまづ よしたか)1586~
  • 島津 義弘(しまづ よしひろ)1587~
  • 島津 惟新斎(しまづ いしんさい)1599~

島津義弘 人物解説

  • 島津氏第16代当主である島津義久の弟
  • 薩摩藩初代藩主である島津忠恒の父
  • 兄を補佐し合戦では自ら前線に立つことが多かった
  • 釣り野伏せの戦法により侵攻してきた伊東氏に勝利した(木崎原の戦い)
  • 耳川の戦いに主力として参加し、大友宗麟の軍に大勝する
  • 根白坂の戦いで奮闘するが豊臣秀吉の軍に敗退した
  • 文禄・慶長の役に参陣し活躍する
  • 関ヶ原の戦いでは敵中を突破し退却した

父母血縁

父母祖父母曾祖父母
島津義弘島津貴久島津忠良島津善久
新納是久娘
島津成久娘島津成久
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入来院重聡娘入来院重聡入来院重豊
北原貴兼娘
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年表( 島津義弘 略歴 )

所在出来事
15358薩摩薩摩島津氏の分家出身 島津貴久の次男として出生
1539薩摩島津本宗家の家督を相続していた父の島津貴久が祖父の島津忠良とともに薩摩を平定する
1546薩摩11歳で元服し島津忠平(ただひら)と名乗る
1554薩摩岩剣城(いわつるぎじょう)における国人衆との戦いで初陣
1566薩摩父貴久が隠居し家督を兄の島津義久が相続する
15726日向木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)
釣り野伏せの戦法により侵攻してきた伊東氏に勝利する
(釣り野伏せとは、おとり部隊が伏兵がいる地点に敵部隊を誘導し包囲殲滅する戦法)
1577日向日向の諸城を攻略し伊東氏を追放する
157811日向耳川の戦い(みみかわのたたかい)
日向を奪回するために出陣してきた大友宗麟の軍を壊滅させる
1585~1586肥後阿蘇氏を攻略し肥後を制圧する
15875日向根白坂の戦い(ねじろざかのたたかい)
九州の東岸より侵攻してきた豊臣秀長の軍と戦うが敗れ退却する
15876薩摩島津氏が秀吉に降伏する
大隅一国を安堵される
1592~1593朝鮮文禄の役(ぶんろくのえき)
国元の一揆により遅参するが四番隊として参陣する
1597~1598朝鮮慶長の役(けいちょうのえき)
泗川(しせん)の戦いにて戦力的劣勢でありながら明・朝鮮連合軍に勝利する
160010美濃関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)
西軍に属すが劣勢となり東軍に包囲される
捨て奸(すてがまり)の戦法により敵中を突破し退却する
(捨て奸とは、退却時に少数の兵を残し時間を稼ぎ、全滅したらまた小部隊を残して本隊を逃げ切らせる戦法)
160011薩摩徳川家康が島津氏討伐を九州の全大名に命じる
家康に謝罪の使者を送り桜島に蟄居(謹慎)する
島津氏の討伐は中止となる
16023家康に所領を安堵される
16198大隅加治木(かじき)館にて死去 享年85

著名子孫、一門

    • 島津 久保(しまづ ひさやす)
      次男、文禄の役出兵中に病死
    • 島津 忠恒(しまづ ただつね)
      三男、後に家久と改名 初代薩摩藩主
    • 島津 光久(しまづ みつひさ)
      島津忠恒の次男、第二代薩摩藩主
  • 一門
    • 島津 義久(しまづ よしひさ)
      兄、薩摩国守護大名の島津氏第16代当主
    • 島津 歳久(しまづ としひさ)
      弟、梅北一揆により秀吉の怒りを買い自害させられる
    • 島津 家久(しまづ いえひさ)
      弟、沖田畷の戦いでは龍造寺隆信を敗死させる。戸次川の戦いでは仙石秀久が率いる豊臣軍に大勝する。
    • 島津 豊久(しまづ とよひさ)
      甥、弟家久の子 関ヶ原の戦いの退却時に討死した

主君 著名家臣

  • 主君
    • 島津 貴久(しまづ たかひさ)
      父、島津氏第15代当主
    • 島津 義久(しまづ よしひさ)
      兄、島津氏第16代当主
  • 家臣
    • 長寿院 盛淳(ちょうじゅいん もりあつ)
    • 中馬 重方(ちゅうまん しげかた)
    • 押川 公近(おしかわ きみちか)
    • 矢野 兼雲(やの けんうん)
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