斎藤道三

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生没年

  • 1494?~1556

名前

  • 長井 規秀(ながい のりひで) 1533~
  • 斎藤 利政(さいとう としまさ)1538~
  • 斎藤 道三(さいとう どうさん)1554~

斎藤道三 人物解説

  • 油商人として成功しその後武士になる
  • 1533年(天文2年)以前は、父である長井新左衛門尉の経歴と混在している可能性がある(六角承禎書写より)
  • 謀略を駆使し、美濃の戦国大名にまで成り上がる
  • 娘の帰蝶(きちょう、濃姫)は織田信長に嫁いだ

父母血縁

父母祖父母曾祖父母
斎藤道三長井新左衛門尉
(松波庄五郎)
松波左近将監基宗

年表( 斎藤道三 略歴 )

所在出来事
1494?山城?出生
妙覚寺で得度を受け、法蓮房の名で僧侶となる
美濃妙覚寺の末寺である常在寺へ赴く
美濃僧より還俗する
油問屋の奈良屋又兵衛の娘をめとる
油売りの行商人として成功しその後武士となる
美濃常在寺の日運(日護房)の縁故を頼り、美濃守護 土岐氏小守護代である長井長弘の家臣となる
美濃長井氏家臣である西村氏の家名をついで西村勘九郎正利を称す
1527美濃土岐氏の家督争いで土岐頼芸(とき よりあき)の守護就任に貢献する
15332美濃土岐頼芸に敵対する土岐頼武と内通した罪で長井長弘を殺害する
長井規秀に改名する
1538美濃美濃守護代の名跡を継ぎ斎藤利政と名乗る
1539美濃居城である稲葉山城の改築を行う
1541美濃美濃守護 土岐頼芸の弟である土岐頼満を毒殺する
1542美濃土岐頼芸を追放し、美濃の実質的な国主となる
1544?美濃加納口の戦い(かのうぐちのたたかい)
土岐氏を支援した織田信秀、朝倉孝景の軍に攻め込まれるが撃退する
1548美濃娘の帰蝶(きちょう)を織田信長に嫁がせる
1553尾張正徳寺で娘婿の織田信長と会見する
1554美濃家督を嫡男の斎藤義龍に譲る
仏門に入り道三と号す
155512美濃寵愛していた二男の斎藤孫四郎と三男の斎藤喜平次が、義龍に謀殺される
15564美濃長良川の戦い(ながらがわのたたかい)
不和となった義龍と長良川で戦うが敗れ、討死 享年63

※1533年(天文2年)以前は、父である長井新左衛門尉の経歴と混在の可能性あり

※年月は西暦

著名子孫

    • 斎藤 義龍(さいとう よしたつ)
      嫡男、長良川の戦いで道三と戦い敗死させる
    • 斎藤 孫四郎(さいとう まごしろう)
      二男、義龍に謀殺される
    • 斎藤 喜平次(さいとう きへいじ)
      三男、義龍に謀殺される
    • 帰蝶(きちょう)
      濃姫、織田信長の正室
    • 斎藤 利治(さいとう としはる)
      長良川の戦い後、信長配下となる。信長の嫡男である織田信忠の家老となるが、本能寺の変により二条御新造において討死する。
    • 斎藤 龍興 (さいとう たつおき)
      義龍の嫡男。義龍の死により美濃斎藤氏の家督を継ぐが、信長に侵攻され斎藤氏は滅亡する。

主君

  • 主君
    • 長井 長弘(ながい ながひろ)
      美濃守護土岐氏の家臣で小守護代を務めた
    • 土岐 頼芸(とき よりあき)1533頃~1542
      美濃の守護大名。兄の土岐頼武や甥の土岐頼純と美濃守護の座を巡って争う。1542年に道三に追放された。
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