生没年
- 1539 ~ 1599
出生
1539年1月15日(天文3年 5月12日)
死没
1599年4月27日(慶長4年閏3月3日)
享年 62
名前
- 犬千代(いぬちよ、幼名)
- 前田 利家(まえだ としいえ)
前田利家 人物解説
- 尾張国荒子の土豪である前田家の出身
- 織田信長に小姓として仕え始め、後に活躍し重臣となる
- 信長から所領として能登(のと)を与えられる
- 賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家方から羽柴秀吉方へ転身した
- 小牧長久手の戦いでは秀吉方として北陸を防衛する
- 小田原征伐では北条領の北方から主力として侵攻する
- 五大老の一人として豊臣秀頼を後見する
父母血縁
父母 | 祖父母 | 曾祖父母 | |
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前田利家 | 前田利昌(利春) | 前田利隆 | _ |
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長齢院 (竹野氏) |
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年表( 前田利家 略歴 )
年 | 月 | 所在 | 出来事 |
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1539 | 1 | 尾張 | 尾張の荒子城主 前田利昌(利春)の四男として出生 |
1551 | 尾張 | 織田信長に仕える | |
1552 | 9 | 尾張 | 萱津の戦い (かやづのたたかい) 主君の織田信長と清州織田家との戦いで初陣を飾る |
1559 | 尾張 | 笄斬り (こうがいぎり) 織田氏の同朋衆である拾阿弥(じゅうあみ)といさかいを起こし斬殺する |
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1560 | 6 | 尾張 | 桶狭間の戦い (おけはざまのたたかい) 出仕停止中でありながら無断で参戦し功績を立てる |
1561 | 6 | 美濃 | 森部の戦い (もりべのたたかい) 信長が斎藤義龍が死去した美濃へ侵攻する |
1569 | 尾張 | 兄の前田利久が病弱のため隠居し、尾張荒子前田家の家督を継ぐ | |
1570 | 7 | 近江 | 姉川の戦い (あねがわのたたかい) 織田徳川連合軍が浅井朝倉連合軍に勝利する |
1575 | 6 | 三河 | 長篠の戦い (ながしののたたかい) 織田徳川連合軍が武田軍を壊滅させる |
1581 | 能登 | 信長より能登一国を与えられる | |
1582 | 6 | 本能寺の変 (ほんのうじのへん) 織田信長が明智光秀の謀反により本能寺にて自害 |
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1583 | 6 | 近江 | 賤ヶ岳の戦い (しずがたけのたたかい) 当初、柴田勝家方として布陣していたが羽柴秀吉方へ転身した |
1584 | 小牧長久手の戦い (こまきながくてのたたかい) 徳川家康に呼応して越中から侵攻してきた佐々成政を能登の末森城で撃退する |
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1590 | 相模 | 小田原征伐 (おだわらせいばつ) 北国勢(上杉景勝、真田昌幸ら)を指揮して北条領の北面より侵攻する |
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1598 | 9 | 山城 | 秀吉が伏見城にて死去する 五大老の一人として豊臣秀頼を補佐する |
1599 | 4 | 摂津 | 大坂にて病死 享年62 |
※年月は西暦
主君
著名子孫
- 子
- 前田 利長(まえだ としなが)
長男、加賀藩初代藩主 - 前田 利常(まえだ としつね)
四男、加賀藩二代藩主
- 前田 利長(まえだ としなが)
一門衆
- 前田 利益(まえだ とします)
別名、前田慶次(まえだ けいじ)兄である前田利久の養子
著名家臣
- 奥村 永福(おくむら ながとみ)
- 長 連龍(ちょう つらたつ)
- 富田 重政(とだ しげまさ)