南部晴政

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生没年

  • 1517~1582

    出生
    1517年(永正14年)

    死没
    1582年1月27日(天正10年1月4日)

享年 66

名前

  • 彦三郎  (ひこさぶろう、幼名)
  • 南部 晴政(なんぶ はるまさ)

南部晴政 人物解説

  • 甲斐源氏の流れを汲む南部氏の出身
  • 南部氏の第24代当主
  • 南部氏の最盛期を築き北陸奥の全域を領土とした
  • 大浦為信(津軽為信)に反乱を起される

父母血縁

父母 祖父母 曾祖父母
南部晴政 南部安信 南部政康 南部信時
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年表( 南部晴政 略歴 )

所在 出来事
1517 陸奥 南部安信の嫡男として出生
1539 陸奥 居城の三戸城を家臣に焼かれる
1539 上洛し南部晴政と名乗る
1541 陸奥 南部氏の家督を継ぐ
三戸城を再建する
1565 陸奥 従兄弟の南部信直を婿養子に迎える
1566~1568 陸奥 出羽の安東愛季の侵攻を受けるが撃退する
1570 陸奥 嫡男の南部晴継が生まれる
婿養子の南部信直と確執が生じる
1571 陸奥 同族の大浦為信(津軽為信)が反乱を起こす
1576?~ 陸奥 南部信直と対立
1582 1 陸奥 病死 享年66

著名子孫

    • 南部 信直(なんぶ のぶなお)
      南部晴政の長女を正室とし婿養子となる。南部晴継の死去後、南部氏26代当主となった。
    • 南部 晴継(なんぶ はるつぐ)
      南部晴政の嫡男、南部氏25代当主。晴政の死後、程なく13歳にて死去した。

一門衆

  • 北 信愛(きた のぶちか)
    南部晴政の死去後、信直の当主擁立に尽力した。晴政、晴継、信直、利直の四代に仕えた。
  • 九戸 実親(くのへ さねちか)
    南部晴政の次女を正室とした。兄の九戸政実とともに当主となった南部信直に反乱を起こすが豊臣秀吉の奥州仕置によって、征伐された

著名家臣

  • 大浦 為信(おおうら ためのぶ、津軽為信)
    南部氏より独立し、後に津軽藩の初代藩主となった。
  • 九戸 政実(くのへ まさざね)
    南部信直に対抗して、九戸政実の乱を起こすが、豊臣秀吉の奥州仕置により征伐された。
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