生没年
- 1556~1630
出生
1556年2月16日(弘治2年1月6日)
死没
1630年11月9日(寛永7年10月5日)
享年 74
名前
- 藤堂 与吉(とうどう よきち、幼名)
- 藤堂 与右衛門(とうどう よえもん、通称)
- 藤堂 高虎(とうどう たかとら)
藤堂高虎 人物解説
- 近江国犬上(いぬかみ)郡の土豪である藤堂氏の出身
- 浅井氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏など諸大名に仕えた
- 豊臣秀長の家臣として活躍し大名となった
- 関ヶ原の戦いでは、東軍に属し左軍の主力として参陣した
- 伊予国今治藩、伊勢国津藩の初代藩主となった
- 徳川幕府の重臣として活躍した
- 今治城、伊賀上野城、津城などの多くの城を築城、改修した
父母血縁
父母 | 祖父母 | 曾祖父母 | |
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藤堂高虎 | 藤堂虎高 | 三井乗綱 | _ |
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多賀良氏娘 | _ | _ | |
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年表( 藤堂高虎 略歴 )
年 | 月 | 所在 | 出来事 |
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1556 | 2 | 近江 | 近江国犬上郡藤堂村の土豪であった藤堂虎高(とうどう とらたか)の次男として出生する |
近江 | 北近江の浅井長政に仕える | ||
1570 | 7 | 近江 | 姉川の戦い (あねがわのたたかい) 磯野員昌(いその かずまさ)の配下として活躍したが、織田徳川連合軍が浅井朝倉連合軍に勝利する |
1573 | 9 | 近江 | 小谷城の戦い (おだにじょうのたたかい) 小谷城が織田軍によって攻略され、仕えていた浅井氏が滅亡する |
近江 | 浅井氏の旧臣であった阿閉貞征(あつじ さだゆき)に仕える | ||
近江 | 浅井氏の旧臣であった磯野員昌(いその かずまさ)に仕える | ||
1576 | 羽柴秀長に仕える | ||
1577 | 但馬 | 竹田城の戦い (たけだじょうのたたかい) 羽柴秀長が率いる織田軍が太田垣氏(おおたがきし)が守る竹田城を攻略する |
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1578-1580 | 播磨 | 三木合戦 (みきかっせん) |
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1581 | 但馬 | 但馬国の一揆を平定し、加増される | |
1583 | 4 | 近江 | 賤ヶ岳の戦い (しずがたけのたたかい) 羽柴秀吉が織田家実権を争い柴田勝家と戦い勝利する 高虎は武功を立て加増された |
1585 | 紀伊 | 紀州征伐 (きしゅうせいばつ) 羽柴秀吉が敵対していた紀伊の国人勢力を討伐する 高虎は紀伊南部の平定において武功を立て加増された |
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1585 | 紀伊 | 羽柴秀吉の命により、羽柴秀長が和歌山城を築城する 高虎は普請奉行(ふしんぶぎょう)を務めた |
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1585 | 羽柴秀吉により加増され、一万石の大名になる | ||
1586-1587 | 九州 | 豊臣秀吉の九州平定
九州北部まで侵攻していた島津氏を討伐するために豊臣秀吉が出兵した |
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1587 | 5 | 日向 | 根白坂の戦い (ねじろざかのたたかい) 豊臣秀長が九州の東岸より侵攻し、島津義久の軍を破る |
1591 | 2 | 大和 | 主君の羽柴秀長が郡山城(こおりやまじょう)にて死去する 秀長の甥である豊臣秀保が跡を継ぐ |
1592~1593 | 朝鮮 | 文禄の役 (ぶんろくのえき) 豊臣秀吉が明を征伐するため朝鮮に出兵する |
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1595 | 5 | 大和 | 主君の豊臣秀保が急死する 高虎は出家して高野山に上る |
1595 | 伊予 | 秀吉に召喚され還俗し、伊予国の宇和郡7万石を拝領し再び大名となる | |
1597~1598 | 朝鮮 | 慶長の役 (けいちょうのえき) 再度、豊臣秀吉が明を征伐するため朝鮮に出兵する |
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1598 | 9 | 主君の豊臣秀吉が伏見城にて死去する | |
1600 | 10 | 美濃 | 関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい) 東軍が、石田三成らを中心とする西軍を撃破する 高虎は、東軍の主力として戦った |
1600 | 伊予 | 関ケ原の戦いの功績により、伊予国の今治を与えられ20万石に加増される | |
1608 | 9 | 伊賀伊勢 | 伊予国の今治藩より、伊賀国及び伊勢国津の22万石に加増移封となる |
1614 | 12 | 摂津 | 大坂冬の陣 (おおさかふゆのじん) 徳川家康が20万の軍勢を率いて豊臣秀頼の籠城する大阪城を包囲し攻撃する |
1615 | 6 | 摂津 | 大坂夏の陣 (おおさかなつのじん) 豊臣方の再戦の準備を口実に徳川家康が再度出兵する |
1615 | 伊賀伊勢 | 伊賀、伊勢国内にて加増され、27万石となる | |
1616 | 6 | 駿河 | 徳川家康が駿府城にて死去する |
1617 | 伊賀伊勢 | 伊勢国内にて5万石加増され、約32万石となる | |
1630 | 11 | 江戸 | 江戸の藩邸にて死去 享年75 |
※年月は西暦
主君
- 浅井 長政(あさい ながまさ)
北近江の戦国大名。織田信長の妹であるお市の方を妻とした。後に信長と戦い敗れ浅井氏は滅亡した。 - 阿閉 貞征(あつじ さだゆき)
北近江の国人。浅井氏の旧臣。 - 磯野 員昌(いその かずまさ)
浅井氏の旧臣、織田信長の家臣となった。 - 豊臣 秀長(とよとみ ひでなが)1576~
豊臣秀吉の実弟、補佐役として政務、軍務の両面で活躍したが秀吉に先立ち病死した - 豊臣 秀保(とよとみ ひでやす)1591~
豊臣秀吉の甥、姉日秀の三男 豊臣秀長の婿養子となるが1595年に急死した - 豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)1595~
豊臣秀長の兄。1585年に関白宣下を受け、1590年に全国統一した。 - 豊臣 秀頼(とよとみ ひでより)1598~
1593年出生、豊臣秀吉の子。 - 徳川 家康(とくがわ いえやす)1600頃~
三河松平氏出身、1603年征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開いた。 - 徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)1605~
徳川家康の三男、江戸幕府の第二代征夷大将軍。 - 徳川 家光(とくがわ いえみつ)1623~
徳川秀忠の嫡男、江戸幕府の第三代征夷大将軍。
著名子孫
- 子
- 藤堂 高吉(とうどう たかつぐ)
1602 ~ 1676 藤堂高虎の嫡男。伊勢津藩の第2代藩主。 - 藤堂 高重(とうどう たかしげ)
? ~ 1631 藤堂高虎の次男。
- 藤堂 高吉(とうどう たかつぐ)
- 養子
- 藤堂 高吉(とうどう たかよし)
1579 ~ 1670 丹羽長秀の三男。豊臣秀長の養子となったが、後に藤堂高虎の養子となった。
- 藤堂 高吉(とうどう たかよし)
一門
- 藤堂 良勝(とうどう よしかつ)
1565 ~ 1615 藤堂高虎の従弟であり、伊賀国の上野城代を務めた。1615年、大坂夏の陣における長宗我部盛親軍との戦闘にて戦死した。 - 藤堂 高刑(とうどう たかのり)
1577 ~ 1615 藤堂高虎の姉の子。1615年、大坂夏の陣における長宗我部盛親軍との戦闘にて戦死した。
著名家臣
- 渡辺 内膳(わたなべ ないぜん)
山崎の戦いの頃より、藤堂高虎に仕えた。 - 佐伯 惟定(さえき これさだ)
大友家の家臣であったが、大友家の改易後に藤堂高虎に仕えた。 - 渡辺 了(わたなべ さとる)
通称は勘兵衛。関ケ原の戦い後に藤堂高虎に仕えた。大坂夏の陣後に出奔し浪人となった。 - 桑名 吉成(くわな よしなり)
長宗我部家の家臣であったが、関ケ原の戦い後に藤堂高虎に仕えた。1615年、大坂夏の陣における長宗我部盛親軍との戦闘にて戦死した。